秦・楚漢争覇


◆始皇帝が、万里の長城を築いた 
秦という国家は最初、西方の遊牧氏族であったが、東周の平王により諸候に封じられた。
そして戦国時代に
商鞅の内政改新に及んで勢力は爆発的に伸び、諸国侵略を開始した。

紀元前221年、秦王・の代に中国最初の統一国家を樹立し、政は自らを「始皇帝」と称した。 
宰相には法家の李斯が登用され、強制的に法律を徹底させることで、中央集権的な統一国家への運営が始められた。
度量衡文字貨幣をはじめて統一したのも始皇帝である。
しかし、「君主の徳による統治」を主張する儒家が非難したため、始皇帝と李斯は、儒家を生き埋めにして書物を焼き捨て(焚書坑儒)、厳しい言論統制を行っている。
また、始皇帝は戦国時代に北方の燕や趙が匈奴の侵攻に備えて建設した砦を大規模に修築した。
これが「万里の長城」で、総延長4000キロに及ぶ世界最長の建築である。
始皇帝は権威を示すため、
阿房宮を造営し、即位後すぐに自分の墓も作り始めた。




◆項羽と劉邦、秦を滅ぼす
批判を許さない秦の強権政治は、民衆の反発を招いた。
始皇帝が没すると、たちまち全土で騒乱が起こる。
陳勝・呉広の乱を発端に、このなかから項羽劉邦も奮起した。
秦は、なんとか乱を平定することはでいたものの、項羽と劉邦に攻められて、結局統一15年で滅んでしまった。
 

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