左慈(さじ、生没年不明)
字は元放。
方術使い。鳥角先生とも。
峨眉山で30年の修行の末、石壁の中から遁甲天書3巻(天巻・地巻・人巻)を手に入れ、方術を使えるようになったといわれている。
忽然と曹操のもとへ現れ、曹操をたぶらかし投獄される。
その後も曹操を愚弄し、ついには処断されたが死ななかった。曹操の死を予言して消えた後、曹操は昏倒する。
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朱儁(しゅしゅん、?~195年)
字は公偉。
黄巾の乱の際には右中郎将となって、劉備、孫堅とともに黄巾賊を討伐する。その功績で車騎将軍に任ぜられた。
董卓の死後、李傕・郭汜とともに朝政にあたる。
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淳于瓊(じゅんう・けい、?~200年)
袁紹配下の将。
もとは袁紹や曹操と同じ西園八校尉の1人。
官渡の戦いで兵糧庫の烏巣を守るが、酒に溺れて曹操の焼き討ちを受け、怒った袁紹に殺された。
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沮授(そじゅ、?~200年)
-孔明と並ぶべき袁紹忠義の参謀-
袁紹軍においては田豊と並ぶ頭脳派であり、袁紹のもとで監軍・奮威将軍に任命された。
官渡の戦いのとき、主君の袁紹に幾度にもわたって長期戦を主張したが、受け入れられず、投獄される。 戦いに敗れたのち、曹操に投降を勧められるが拒み、脱走しようとして殺された。
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