-ま・や・ら行-

孟獲(もうかく、生没年不詳)

南蛮の王。
蜀の南方の地を支配していたが、蜀に対し反乱を起こす。
遠征に来た諸葛亮を相手に戦ったが、その軍略には敵わず、七度捕らえられ七度放される。 ついには諸葛亮に心服し、蜀への帰順を誓った。



李儒(りじゅ、生没年不詳)

董卓配下の謀臣で、董卓の娘婿。
数多くの策を進言し、悪政をもたらした。
「連環の計」を見抜くが諌めきれず、董卓の暗殺後に同罪として処刑された。


李粛(りしゅく、?~192年)

董卓配下の臣。
呂布とは親友で、董卓の命を受け呂布を懐柔する。 だが、後に王允らが董卓暗殺計画を具体化させた際には呂布と共にこれに参加し、董卓を誅殺した。
しかし董卓殺害後、董卓の娘婿である牛輔を討ちに出陣して、逆に反撃されて大敗し、命からがら戻ったところを敗戦の咎により処刑されてしまった。



李傕(りかく、?~198年)

字は稚然。
董卓配下の将。
董卓死後、同僚であった郭汜らと王允を殺し、献帝を擁して政権を握る。のち郭汜とも争う羽目になり、自滅の道をたどった。



劉璋(りゅうしょう、162年~219年)
-蜀の地を劉備に譲った暗君- 

字は季玉。
後漢の益州牧。劉焉の子。
張魯の侵攻に備えるべく、荊州の劉備を迎え入れる。
しかし有能な君主を求める家臣の手引きにより、劉備軍は成都に侵攻し、勢力を残しながらも降伏した。



劉表(りゅうひょう、142年~208年)
-荊州九郡を治める平和主義者-

字は景升。
荊州刺史。 江夏の八俊の一人として有名。
近隣の豪族を征討し、着実に国力を増強。戦乱を嫌った学者が多く荊州に落ち延び、国内は目覚しい発展を遂げた。
さらに孫堅を倒したり、張繡(ちょう しゅう)と組んで曹操に対抗するなど活躍した。
しかし中原に進出する好機を逃し、曹操は袁紹を打ち倒して北中国を制圧。 劉備を新野に招き、死後の後事を任せて息を引き取った。
その後の荊州は、劉備が蜀を得るまでの重要な拠点となる。



呂布( りょふ、?~198年)
-三国史上最強の武人-

字は奉先。
初め義父の丁原に仕えていたが、董卓から名馬・赤兎馬を贈られるとこれを殺害。董卓に従って義理の親子となる。
しかし王允の計略に乗せられて董卓をも暗殺。一時的に宮廷の実権を握る。
しかし間もなくして董卓の残党に都を襲われて敗走。手勢を引き連れて諸国を流浪する。 その後は庇護してもらった劉備を裏切り、徐州を手に入れるなどして大いに暴れ回るが、次第に孤立していき、最終的に曹操・劉備連合軍に城を包囲された挙句、部下に裏切られて捕縛され、斬首された。
裏切りの連続の人生を送った彼は、自らも部下に裏切られるという皮肉な最期を遂げたのである。



盧植(ろしょく、?~192年)
-黄巾の乱の鎮圧に尽力した儒者-

後漢時代の有名な儒学者。 若き日の劉備に学問を教えた師。
劉備との再会の直後、戦場の視察に来た宦官の左豊に賄賂を贈らなかったため、罪に問われて洛陽に送られる。