-ま・や・ら行-

劉備(りゅうび、161年~223年)
-漢室復興を常に掲げて生き抜いた仁徳の人-

字は玄徳。
前漢景帝の子・劉勝の末裔。
父と早くに死に別れ、母と共に筵(むしろ)を織って生計を立てていた。
そんな時、黄巾賊討伐のための募兵札が彼の住む村に立てられた。彼は関羽・張飛と共にこれに賛同して義勇軍を決起。以後各地で名を挙げていく。
しかし彼の前には苦悩の毎日が立ちはだかり、希望の光が見えないまま年を取っていった。
そんなある日、彼は名軍師・諸葛亮を陣門に引き入れた。 この諸葛亮という人物に支えられ、彼は一気に勇躍を始める。 そして遂には益州に蜀を建国するに至ったのである。



劉禅(りゅうぜん、207年~271年)
-父の遺志に沿えなかった無能な二世-

字は公嗣。
劉備の長男。 十七歳で蜀の第二代皇帝に即位する。
諸葛亮存命中は彼に政務を任せていたが、孔明と董允の没後は宦官の黄皓を寵愛し、蜀を滅ぼす遠因を作った。
263年、蜀は魏によって滅ぼされ、劉禅は降伏した。 後に司馬昭が劉禅を宴席に招いて蜀の音楽を流させたが、蜀の旧臣は涙を流したにも関わらず、彼は始終上機嫌だったという。

彼の幼名「阿斗」は無能の代名詞。



劉封(りゅうほう、?~220年)

劉備の養子。 武芸に秀で蜀平定に活躍。その後、孟達と上庸の守りについたが、関羽の救援要請を断った。 その結果、孟達は魏に降り関羽親子は戦死してしまい、これに怒った劉備に成都で処刑された。