-女性-

甘夫人

劉備の妾(正夫人というのは小説の創作)の一人。
彼女は跡継ぎの劉禅を生んだために、一応は皇后の第一候補であった。 しかし、若くして死んだためにその夢はかなわず終わった。
心やさしい賢夫人で、苦労続きの夫を励まし、敵に囚われても一途に夫を想い続けた素晴らしい女性である。 劉備の覇業を支えた、見えない心の支えであった。



黄月英

諸葛亮夫人。
髪の毛が赤く顔は茶色〜などという描写で、かなりの不美人だったらしい。
しかし頭脳は抜群で、その優れた知識と優しさで夫を助け、彼に家の心配をさせずに政治に打ち込めるように心がけた、賢夫人。



張皇后

張飛の娘で第2代皇帝・劉禅の皇后。
237年、貴人に立てられ、翌238年、皇后に立てられた。
263年に蜀漢が滅亡し、劉禅が洛陽に移送されることになると、それに随行した。

※『三国志演義』では諸葛亮の薦めで張皇后が17歳の時に劉禅の妃となった。演義では敬哀皇后が登場しておらず、妹の張皇后と混同された扱いになっている。



馬雲祿(ばうんりょく、生没年不詳)

馬超の妹で、後に趙雲の妻の女武将。
父・馬騰が殺された時は馬超と共に西涼にあって難を逃れ、一族が殺された時は兄と共に陣中にあって難を逃れた。 その辺の男ではかなわない腕前で、馬超・趙雲と各地を転戦する。



糜夫人

劉備の妾の一人。
劉備の謀臣にして経理担当の、糜竺の妹である。
劉備が徐州牧になった時、彼が室に入れたということになっている。 子供はなかったが、劉禅を我が子のように可愛がり、また甘夫人との仲も大変良く二人して夫を良く支えた。
長坂の戦いで足に重傷を負い、助けに来た趙雲に劉禅を託し、自分は足手まといにならないために近くの井戸に身を投げて死んだ。 我が子でもない劉禅を助け、夫に尽くした彼女も甘夫人に負けず劣らずの賢夫人である。



鮑三娘(ほうさんじょう、生没年不明)

関索(関羽の三男)の妻。
関索が傷の療養に鮑三荘へ赴いたときに出会う。 美しく武芸に秀でており、
「自分より弱い者との結婚は納得できない」
と、結婚を拒否していた。 しかし関索と手合わせして負けると、その武技に感服し、自ら求婚して妻となった。