朱徳

1886〜1976年

中国の軍人・革命家。四川省儀隴(ぎろう)の人。
1927年南昌蜂起を指導。
翌年井崗山で毛沢東と合流し紅軍第四軍を創設。抗日戦争中は八路軍総司令。
中華人民共和国成立後は国家副主席・全国人民代表大会常務委員長。



林彪

1909〜1971年

中国の軍人・政治家。湖北省黄安(こうあん)県の人。
1925年中国共産党に入党。北伐・南昌暴動に参加後、毛沢東・朱徳らと紅軍を建設、以後軍の要職を歴任した。文化大革命で運動の先頭に立ち、毛沢東の後継者に指名されたが、クーデターを計画(1971年9月、林彪事件)して失敗、ソ連へ亡命を企て飛行機事故で死亡。



汪兆銘

1885〜1944年 

字は精衛。
中華民国の政治家。広東出身。
明治37年法大に留学し、孫文の指導する中国革命同盟に加入。孫文の死後、国民党の左派指導者として武漢政府主席となり、蒋介石との合作政権で行政院長、党副総裁をつとめる。
1940年反共と対日和平をかかげ、南京国民政府を樹立したが、事実上日本軍の傀儡(かいらい)政権でおわった。昭和19年11月10日名古屋で死去。62歳。
著作に「汪精衛文存」など。



江青

1914〜1991年

本名は李淑蒙、もしくは李進(李進孩)とも。
中国の政治家。山東省の出身。
1930年代に上海の新劇界で女優として活躍。
のち中国共産党に入り、39年に延安で毛沢東と結婚。
66年から文化大革命を推進したが、毛沢東死後の76年、クーデターを企図した「四人組」の一人として逮捕され失脚。91年、自殺。



ケ小平

1904年8月22日〜1997年2月19日

四川省広安県の客家に生まれ、重慶の「勤工倹学」の予備校に合格、1920年、フランスに留学。 その地で共産党に入党し、周恩来が編集長の機関誌「赤光」の印刷を巧みにこなし、「ガリ版博士」とあだ名される。
検挙を逃れモスクワに赴き中山大学に入学、ソ連に援助を求めた軍閥・馮玉祥に伴い帰国。 上海から広西省に入り根拠地建設後、撤退して瑞金に合流、その後抗日戦争や国共内戦で軍功を立てる。

彼は実務能力に優れ、62年、調整政策実施にあたり述べた言葉・・・
「白猫だろうと黒猫だろうと、ネズミを捕る猫が良い猫だ」
は有名。
「長征」前後の失脚から数え3度目の復活を果たし、最高権力者となる。 88歳で行った「南巡講話」が最後の活躍。
毛沢東と異なり家庭に恵まれ、5人の子と5人の孫に囲まれて過ごした。