始皇帝
生没年 前259年1月~前210年7月
姓・諱 姓は嬴、氏は趙、諱は政
出身地
関連人物 子楚 呂不韋 韓非子 李斯 趙高 胡亥 荊軻

戦国時代を終わらせた専制君主。
趙で生まれ、暫く人質として暮らす。
父・
荘襄王の死後13歳で秦王となり、呂不韋を宰相とした。 しかし、呂不韋列伝によると政は呂不韋の子であるといわれている。 母が呂不韋と密通し、恐れた呂不韋が代わりに与えた男・ロウアイが権勢を振るったが、成人すると このロウアイを殺し、呂不韋も流罪にして自害に追い込んだ。このことが彼の人格形成に大きく関わったといわれる。
はじめは呂不韋に政治を専断されたが、成人すると彼を斥けて親政した。

法家思想に共鳴し、
李斯を登用して法による支配体制を整える一方、他国を策略で弱体化させ、配下の将軍・王翦らを用いて、韓・趙・魏・楚・燕・斉を次々と滅ぼし、在位26年目に天下を統一する。 この時三皇五帝から皇帝の称号を編み出し、自ら始皇帝を名乗った。

法家思想に則り、全国を郡県制で役人を使った政府の直轄地とした。 また秦の厳しい法律を全国で適用した。度量衡や貨幣・文字を統一し、後の中華文化圏を形成した焚書坑儒と呼ばれる思想の弾圧を行い、万里の長城や阿房宮・馳道などの大規模な土木工事を行い、また南北の辺境に遠征した。
しかし、強引な政策を行ったため国民の不満は極度に累積し、始皇帝の死後、わずか5年で帝国はあっと言う間に崩壊した。
始皇帝は晩年、不老不死を求めるようになり、天下統一の11年目に巡遊先で死去する。
始皇帝の死は、宦官・
趙高により伏せられ、趙高の自らの陰謀により、次期皇帝には暗愚な末子・胡亥が即位した。



人物評価
始皇帝に関してはいろいろな参考書を読んだり、ドラマも見たりしました。
今まで映像化されたドラマでいうと、「始皇帝烈伝 ファーストエンペラー」「始皇帝暗殺 荊軻」
映画だと「HERO~英雄~」「始皇帝暗殺」などでしょうか。
どの資料からも、「中国史上 初となる偉大な人物」として過大評価されている反面、かなりの悪役に描かれているようにも思えます。
晩年の行動を思うと確かにひどいと思いますが、国を統一する者の結末を表す例えとなっているのだと----
まあ、あれだけの広い国土をまとめあげるのは、相当大変なことだと思いますよ・・・私はそんな彼を補佐し、君主に育て上げた呂不韋の方が本当の秦の創始者だど思います。