ジュチ

1172〜1224年

チンギス・ハンの長男
1211年以来父に従って金やキルギスの国を滅ぼすことに努めた。
その後、父の中央アジア遠征に参加して、パミール高原の西にあったホラズム帝国を打ち破り、さらに南ロシアのキプチャク草原にまで遠征したが、その地で病死する。
ジュチの子・
バトゥは、この地を受け継ぎ、キプチャク・ハン国を建てた。

チャガタイ

?〜1242年

チンギス・ハンの次男。
●チャガタイ・ハン国の初代王。
兄弟とともに、父の遠征に参加し、遠くのインダス川まで軍を進めた。
1227年、父より中央アジアを与えられ、現在のイリ川を中心としてチャガタイ・ハン国を建てた。同年父が亡くなると、(弟・四男
)トゥルイともに(弟・三男)オゴタイを、モンゴル帝国の二代目ハンの位につけ、一族の長老として権力を振るった。


オゴダイ・ハン

1186〜1241年

チンギス・ハンの第三子
●モンゴル帝国の二代皇帝
父の開いた帝国をさらに広げようと努力し、各地に遠征軍を送った。(ジュチの子・バトゥに行わせたロシア・ヨーロッパ大遠征は有名である。)また、自ら軍を率いて金を滅ぼした。
オゴダイはカラコルムに首都を建設し、モンゴル帝国の基礎を整えた。



ハイドゥ

?〜1301年

チンギス・ハンの第三子・オゴダイ・ハンの孫。
●オゴダイ・ハン国
の王。
三代皇帝グユウ・ハンの後、モンゴル帝国の皇帝の位は
オゴタイ家からトゥルイ(チンギス・ハンの第四子)家の子孫(第四代皇帝・モンケハン。トゥルイの息子で、従兄弟にあたる)に受け継がれるようになった。このため、1260年にトゥルイ家のフビライが即位したときに反乱を起こした。
反乱は失敗したが、以後
チャガタイ・ハン国キプチャク・ハン国と同盟して、40年あまりフビライの建てた元と戦った。このため、モンゴル帝国は分離してしまった。


フビライ・ハン

チンギス・ハンの第四子トゥルイの子
モンゴル帝国の第五代皇帝で、元の初代皇帝。

※フビライ・ハンについての記述はこちら