姓は子、名は履。
殷王朝建国の祖とされる人物。成湯ともよばれる。
元は夏王・桀の臣下であった。 桀王は暴虐にして淫乱だったため、諸侯の昆吾氏が反乱を起こす。 湯王は料理人として身辺に近づいてきた賢人・伊尹を補佐役としてこの反乱を平定し,さらに近隣の諸侯も平らげ地盤を固め,諸侯を率い桀王に対する軍を起こす。 そして、鳴城の戦いにおいて大勝し,桀王が逃げ込んだ地を攻略。桀王を南巣の地に追放し,彼の子を諸侯に封じた。
湯王が夏王朝を倒せたのは、桀よりも、はるかにしたたかな人物であったからで、彼が諸侯を従えたのも、自然発生的に信望を集めたわけではなく、暴力による威圧を背景とするものだった。
湯王は聖人君子タイプではなく、冷徹で、したたかに権力を追求するタイプだったと思われる。 実際、桀を倒す前、諸侯に対して、従わなければ死刑にすることを宣言している。
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