湯王

姓は、名は
殷王朝建国の祖とされる人物。成湯ともよばれる。
元は夏王・桀の臣下であった。
桀王は暴虐にして淫乱だったため、諸侯の昆吾氏が反乱を起こす。 湯王は料理人として身辺に近づいてきた賢人・伊尹を補佐役としてこの反乱を平定し,さらに近隣の諸侯も平らげ地盤を固め,諸侯を率い桀王に対する軍を起こす。 そして、鳴城の戦いにおいて大勝し,桀王が逃げ込んだ地を攻略。桀王を南巣の地に追放し,彼の子を諸侯に封じた。
湯王が夏王朝を倒せたのは、桀よりも、はるかにしたたかな人物であったからで、彼が諸侯を従えたのも、自然発生的に信望を集めたわけではなく、暴力による威圧を背景とするものだった。 湯王は聖人君子タイプではなく、冷徹で、したたかに権力を追求するタイプだったと思われる。 実際、桀を倒す前、諸侯に対して、従わなければ死刑にすることを宣言している。



紂王

殷王朝最後の王。夏の桀王とともに二大暴君に数えられる。
屈指の暴君として名高いが、本来は雄弁で頭脳明晰、抜群の体力と腕力を持つ全く非の無い名君だった。 ところが、紂王は帝位に就いて絶世の美女・
妲己を寵愛し始めると、税を重くして全国より金銭・穀物を集めて鹿台や離宮を造営し、珍奇な鳥獣を解き放った。 更に池に酒を満たし、木々に食肉を掛けてそこで裸の男女を遊ばせ、夜を徹して酒宴を連夜続けた。 「酒池肉林」の言葉の由縁はこの紂王の愚挙が元となっている。
そんな紂王を諫める家臣もいた。 しかし、紂王はその家臣を殺し、心臓をえぐりだしたという。 暴虐きわまる紂王に、人心は離反していき、殷王朝は衰退の意図をたどる。
殷王朝が揺らぎ始めた中、人心を集めた人物・周の姫氏を、紂王は警戒し、
姫昌(のちの文王)をいったんは幽閉する。 だが、家臣から美女などを贈られて機嫌をよくし、姫昌を解放する。 周では、釈放された姫昌が死去すると、その子・姫発(のちの武王)太公望呂尚の力を借り、紂王討滅の軍を起こす。 紂王は、牧野の戦いで周に敗れ、自殺した。


妲己

殷王朝末期の紂王の妃。有蘇氏の娘。 紂王に寵愛された。
新淫の声・北鄙の舞・靡靡の楽を作って後宮で楽しんだり、酒池肉林にたわむれるなど贅沢三昧の暮らしを送る。 また炮烙の刑を考案し、罪人を殺して喜んだりもした。 紂王が周の軍に牧野で敗れて廩台で自殺すると、妲己も自ら縊死したというが、武王に首斬られたという説もある。
末喜などと共に悪女の代名詞的存在として扱われる。